記念すべき1回目。
小学校3年生から続けている野球を中心にスポーツ全般で日記にしたいと思います。
すこしプロフィールを。大阪生野高校で野球部所属。1年でベンチ入りするも1回戦で野茂(現ヤンキース、成城工)に完全試合をくらって高校生活の出鼻をくじかれる。最高成績は2年秋の4回戦(ベスト32)。確か、3回戦で進学校同士で天王寺と対決。相手は確か有名な投手だったと思うけど、延長12回ぐらいで勝利。筆者は7回ぐらいからロングリリーフで勝ち投手。3年はエースとなるものの、秋、春、夏と全て1回戦まけ。関西学院に進学後は投手をあきらめ、外野手に転向。1年はベンチに入れなかったが、2年春からいきなりレギュラーに抜擢される。足の速い左打者好きだった当時の土屋監督に感謝。関学時代は現カージナルスの田口と同期で、彼が主将、筆者が副将の間柄。最高成績は3年秋の3位かな。優勝は同志社で、エースが日本のエース杉浦、サード片岡(阪神)、ショート宮本(ヤクルト)、ファースト松田(PL)等の豪華布陣で秋の神宮大会も制した。確か小池(楽天)のいる亜大にも勝ったはず。2位は立命でエースはマリナーズ長谷川。3年秋は長谷川からサヨナラヒットを筆者が打ち、長谷川の連勝記録をストップ。長谷川から打った3本のヒットが全て勝利打点で3勝しているのが自慢。(って、その他はほとんど打てず、20打数3安打ぐらい?)
4年になると、阪急電鉄のはからいで、西宮球場で30年ぶりくらいに関関戦(関大との伝統の一戦)が復活し、1万人ぐらい観客が入ったと思う。TV中継もあってNHKニュースでも取り上げられたが、2戦とも負け。野球をやっていて1万人の観衆の前でプレーしたのがはじめただったのでさすがに1打席目は足が震えたのを今でも鮮明に記憶している。投手は関大・池添で、ふつうならしない三球勝負をされて見送り三振。関大はいきおいに乗って優勝。全国でも準優勝。決勝では斉藤(横浜)がエース、4番が金本(阪神)の東北福祉に17回ぐらいで負けたはず。1年〜2年にかけては近大の酒井が全国を3連覇していたし、関西学生野球の黄金時代だったと思う。筆者の大学時代の通算成績は61安打、打率0.250前後だと思う。3年秋が大スランプで1割を切ったのが痛かった・・。今日はこれぐらいで。阪神マジック6、常勝阪神は慣れないな〜。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索